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ひと隅を照らし
生まれる
たしかな流れ
何気ないけど好転の兆しとなる大切なことや、ひと、ものに目を向けて綴りたいと思います


神 さ ま を ひ た す ら 思 う こ と
神さまを想い子を抱き寄せること 子どもが泣いたり、すねたりするとき、 言葉でなだめても、叱っても、あまり意味はないんです そんなときは、ただ 神さまを想いながら抱きしめること 頭をそっと撫でながら「大丈夫だよ」と心で祈る これは、子どもだけの話ではありません 私たち大人も、本質的にはみんな 少し年を重ねた子ども です 神さまから見たら、四十だろうが五十だろうが、 みんな幼稚園の園児のようなもの 少し賢くなったような顔をして、 人を叱ったり、教えたりしているけれど、 実際には、まだまだ学びの途中なんです そして、あるとき私たちは気づきます 「人間は肉体だけの存在ではなかった」と この短い人生の背後には、 幽界も霊界も神界も連なっていて、 私たちは永遠の生命の旅の中、 ほんの一瞬、肉体という器を借りて生きている そう分かる人は、 魂の“上の学校”に進級した人 まだ分からない人は、 もう少し初級の教室で学んでいるだけのこと 神の視点から見れば、 すべての人は一つのいのち です たくさんの個として分かれているように見えても、 もともと一つの宇宙意識 神の

akihiro yoshida
11月7日


霊眼のひらき方
霊眼を開くということ それは、霊に寄ること そして 光に寄ること 人間の本質は光です 「霊の眼」とは、本当の自分、つまり神聖なる内側の光に寄っていくこと そこを忘れてしまうと、どれだけ“視える”ようになっても、魂は濁り、次第にまやかしに人生を翻弄されていくだろう 山梨に移住してから、私は「養生」の時間を大切にしています 体の声を聴くことは、 内側の声を聴くこと その内側には、声が響いています 毎朝4時頃、一度目が覚め、静寂の中で、その声が聴こえ始めます 朝はやっぱり、神様の時間なんだと感じます あの時間帯は、天地がまだ清らかで、 神とつながりやすい時間 この時間に耳を澄ませると、外ではなく内側に“広がっていく感覚”が訪れます 祈りは外に放つものではなく 内側の神聖へと還るための道 なのだと、いまはよく分かります 現実の出来事は、すべて霊界で先に決まっています 人との出会いも、別れも、病や試練さえも、、 見えない世界で方向が定められ、その後に現実として現れる だから、霊的な動きを感じ取れないまま生きていると、 暗闇の中を手探りで歩くように、つまずき

akihiro yoshida
10月22日


山梨に移住しました
決して他人を変えるべき病にかかってはいけない うまくいかないのは関係性だけ 基本的には悪い人間をいないと思ったほうが、解決の糸口に近づきやすい 人との間合いや関係性をほんの少し変えるだけ 久しぶりのブログ いま私は山梨に移住し、富士山を見て、静かな時間を大切にしながら、養生...

akihiro yoshida
10月5日


境界線でみえたもの
私たちはふだん「生きている」というフィルターを通して世界を見ています 声をかける、手を握る、涙を流す、、、それは生きているからこそできること けれど、瞑想やカウンセリングの霊視の中でご家族から死の意識、「死後の意識」に触れる時があります...

akihiro yoshida
9月7日


未来の自分に返ってくる
先日、友人であり、先輩霊能者の“トシさん”の出版記念パーティーにゲストとしてお招きいただきました 「2%のライトワーカーが世界を救う!」著者 トシ・ルクサー さんです ありがたいご縁です トシさん、本当におめでとうございます...

akihiro yoshida
8月15日
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