境界線でみえたもの
- akihiro yoshida

- 9月7日
- 読了時間: 3分

私たちはふだん「生きている」というフィルターを通して世界を見ています
声をかける、手を握る、涙を流す、、、それは生きているからこそできること
けれど、瞑想やカウンセリングの霊視の中でご家族から死の意識、「死後の意識」に触れる時があります
そこでは体の輪郭が消え、光の粒に包まれるような広がり
想いは言葉よりも速く、直接的に届きます。感謝は温かさとして、後悔は重さとして一瞬にして押し寄せる
生前と死後の違いは、ただ体があるかないか それだけです
けれど、その「体」というフィルターの存在が、いかに尊いかを私はそこで知りました

祖父が亡くなった時、まだ成仏できずに家の一室に立ち続けていた姿を感じたことがあります
そこには「まだやりたい」という想いが残っていた
一方で祖母はすぐに降りてきて、今も私を支えてくれる
同じ死を迎えても、そこに映し出される景色はまるで違うのです
死後の意識を覗くたびに強く感じるのは
「生きている今をどう使うかが、すべて」ということ。
後からでは抱きしめられない
声も、温度も、触れることはもうできない。
だからこそ今日、隣にいる人に「ありがとう」と言うことが、どれほど奇跡的か

私自身、これまで30代から二度、命の危機にさらされたことがあります
あの冷たい空気あの瞬間を、今でも覚えています
けれど私は今、こうして生きています
それは単なる偶然でも、医学の力だけでもありません
もっと深いところで「生還」を選び取る力が働いていた、と私は感じています
私にとっては、日が昇ることも、お酒を飲むこと、好きな人と一緒にいれることも、私にとっては、奇跡に近い大切な日々
生きている今は、どれだけ特別な機会なのか
声をかけられるのも、涙を流せるのも、手を握れるのも、体があるからこそできること
それは肉体だけでなく生かし続ける霊的な温もりがあります
「まだやれることがある、まだ伝えたい愛がある」
その波長が未来に私達を呼び戻す
天命という言葉では片付けられないことがある
昔、私も体が弱り切った時期に気づいたのは、「気を流すこと」でした
自然の中を歩くこと、体を休めること、呼吸を深くすること
それらは単なる健康法ではなく、「生の場に戻るための扉」だったのです
そして、意識の波長もまた引き寄せを起こします
「もう無理だ」と諦める波長は、その未来を引き寄せる
「必ず生きる、光を見て帰ってくる」と決めた瞬間、その波長は未来を変えるのです
でもそのたびに「生」に引き戻された人は
生に感謝でし、愛する人と今を共に生きようと純に染まってゆく、、
今この一瞬がいかに奇跡かを突きつけられるのです

だから私は今日も伝えたいのです
「死を知ることは恐れるためではなく、生を鮮やかに輝かせるためだ」と
もし今、あなたが迷いや不安の中にいるなら
今日からできることは難しくありません
ゆっくり深く息を吸って、腹に落とすこと
自然の中を5分でも歩くこと
「ありがとう」を一人にでも伝えること
それだけで気の流れは整い、波長は変わります
そしてその小さな一歩が、未来のあなたを引き寄せていくのです

あなたの今日という一瞬は、奇跡そのもの
その奇跡を抱きしめながら、共に歩んでいきましょう



