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魂と供養について③












私たちは霊体が本体です



肉体から離れた後、行いの全てが無になるとしたら


生きている間、何をしても許される


何をしても良いことになってしまう、、、



もしも、自分が生きる世界はこの世だけしかなく、死ぬと無になれるのなら、供養も魂という言葉自体意味する必要もないのでしょう




そうであれば、

この世で何をしても良いし、人生に疲れたら死ねばいいことになるのかもしれない




それを許さないとしている良心こそ魂の世界、死後の深淵を覗かせるものではないでしょうか


私たちは子供の頃

「お天道様がみてる」そんなことを言われたことありませんか?



そのお天道様という言葉に現世を超越した何かをどこか感じてました




愛する人との今生での別れは残された遺族にとって、確かに辛く悲しい体験です



若すぎる人の死は遺族にとって大きな衝撃です



私たちは身近な人が若くして死んだときについ思いを巡らせてしまいます






あの人はどうして死ななくてはいけなかったのか、、、




まだあんなに若いのに私たちのもとにこんなにも早く去らなくてはならない理由は一体何だったのか、、、






私たちにとって、身近な人間の死はたとえその人が何歳で亡くなるとしても受け入れがたい出来事です




自分の愛する人たちには、たとえ寿命を迎え、疲れ果てて逝かれたとしても、ずっとそばにいてほしいと考えます



愛する人たちをいつまでも失いたくありません




こういった時に当たり前にあるものが明日もあるとは限りないということを思い知らされます





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私たちが愛する人の死を容認できるときは、体が激しい痛みや苦しみにさいなまれていて、それならばいっそ、肉体を離れて霊の世界に向かったほうが明らかに幸せになれるんじゃないか、、、


そう思える時かもしれません



あるいは、、、


この死の意味を、

頭ではなく、腹に落ちるように理解していくときかもしれません、、、



私や他の方々のように、人のエネルギーを視る人間は、誰かが若くして亡くなった理由や、



どんなことがあれば旅立った方と残された遺族と平穏と調和がもたされるのか


その人が何をするためにここに来たのか



その人の今回の人生の真の目的は何だったのかに目を向けます



残された方の傷を考えると、とてもとても大きなテーマです




しかし私たちは頭と心を深く鎮めたときに視えてくるものがあります

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私たちはそれぞれ独自の目的を持って生まれてきてます



前世から持ち越した人間関係上の問題を解決すること


ある特定の感情を克服すること


あるいは使命を遂行すること


身近にいる人たちを助けること


目的はいろいろ考えられますが、ほとんどの場合使命は1つではありませんが



ただただそういった使命を持って駆け抜けていく人生ではあっても、常々感じることは



縁ある人とは必ずまた出会えること



そして出会って共通のテーマを越えるために生まれ変わってきてたのだということ



それがこれまでのカウンセリングや自分の前世から視えるビジョンからわからされてきたことです




時にはまた一緒に超えていきたいテーマのために生を共にしようと生まれ変わるかもしれません



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私は誰から何と言われようと伝えつづけます


縁ある方とは死後に必ずまた会えます




いえ、おそらくもう何度も会っていることでしょう




肌を温める風や木々の音や夢や人の言葉で思い出される時、あなたが寂しいと感じた時には幾度もそばにいます



遺族を亡くされた方のオーラに何度もみてきたから確信を持ってそういえます




いろいろな信仰があり、いろいろな物語があります


しかしいずれにしても必ず再会できます




先に行く人は「先で待ってる」


後から逝く人は「後からいくから」


2度と会えない別れなど存在しないとお伝えしておきます


必ずまた再会出来るという真理を、どこの誰にでもなく、

必要な方に届いて欲しいと願います


「また会えるから」を胸に、どうか、再会の日を待ち望んで生きていてください



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死を理解することは大人になっても難しいこと





しかし死を理解することは私たちの生き方を安心させるものだとも思っています






大切なことは、愛する人の死を



生きている人間がどのように弔うか





誰もが人が死ぬことは理解している


であれば死が不幸なことではなく


別れが悲しいのではないでしょうか





その悲しみはあなたが現世をしっかりと生きている証




そこはとても大切なように感じます





今は目に見えなくても、


体温を感じれなくても、


声が聞こえなくても、


生前あなたに厳しかった人は優しい方となって


生前優しかった方は一層温かみを感じれて



いつもそばにいてくれた


それをいつの日か必ず知る時が来るから




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次回どこかの機会では供養のあり方について私の思うことをお伝えさせていただこうと思います




 
 
 

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