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犠牲心の手と癒しの手










ご挨拶が遅くなりました。


本年も何卒よろしくお願い申し上げます。


震災被害に遭われた方々のお心に安堵できる日がいち早く訪れることを心よりお祈り申し上げます





そして皆様にとって本年、心温かい年となりますように、、、。








さて、




年末からスケジュールと睨めっこする日々が続き、今日に至ってしまいました、、!



もう年が明けてもう18日!!!


早いなぁ、、、、


スケジュールと睨めっこしながら合間、合間に瞑想してます




最近つくづく思うことですが、私は瞑想が大好きなんだなぁと




最近なんかは瞑想する前ワクワクさえします笑


そう言い切れる自分に驚きさえします


それはきっと安らいでいる自分に出会えるからです




そういう自分が好きなのは、きっと私だけじゃないんでしょうね


自分の奥底にある人生の豊かさを知るためには自分のエネルギーを満たすことが一番早いと感じてます


豊かさは人生の座標軸になる


人の言葉や存在に敏感になりすぎて生き方を迷う方にとって

何より自分の豊かさを知っていただきたいと感じます



そういうことを、関わっていただける方たちにも知って欲しくて実践的なエネルギーワークの講座なんかも始めます




満たされた状態に自分でいかに至れるか





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(クオリティ・オブ・ライフ =ひとりひとりの人生の充足感



そういった日々が生きやすくさせるんだ感じ

それを伝える啓蒙活動かもしれませんが、ついてきてくれる方にとことん幸せを願ってやってみたいと、今年から12ヶ月通しての挑戦がこれです


受付はもう終わっちゃったんで活動ご報告ですけどね




きっと、、、12ヶ月というロングスパンはもうやれない、、と思うこの頃でもあります


とても翌年も連続してやれる自信はない、、、





人生何があるかわからないからね


だからこそ全力で出し切ってやろうと思います




自分も関わる人も幸せになって欲しいと心から、、

全力で想いを注いだらどうなるんだろう。。




そういう発信側と受取手の化学反応が12ヶ月後、どうなっているのかがとても楽しみです


そのためにはしっかりと自分を満たしてやらないといけない、そう強く思います



自分の向かっていく先、やりたいこと、やりたくないこと、

濃淡はっきりすれば合う人、合わない人たちがはっきりしてくる



おもしろいねぇ、、、



自分を取り巻く環境で

さまざまな感情の動きが見えてくるからエネルギーの世界は面白い



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大切にしていることは自分を癒してあげること


自分が癒されて溢れていると自然と執着が離れていく


私は陸暁を立ち上げながら執着がない、、、と言ったら批判もいただくことでしょう



でもそれが本音です




だから経営でやっていないと日頃から言ってます



しかし、ここで誤解しないでほしいことがあります


お金や商売に執着がないということでは決してありません


お金はとても大切


伝えたいのは「行きすぎたお金への執着は、やりたいことを我慢することが出てくる」


そっちのリスクの方が何倍も私にとっては辛いことなので、経営でやっていないと言っています



主催側がやりたいことをはっきりさせていくと関わる人、離れていく人がはっきりしていきます


そこで

離れていく人や流れていってしまう資金を無理に繋ぎ止めようとすると、やりたいことへの我慢が生じたりします


そこで本来の自分のポテンシャルを出せなかったり、

表現したいことが自分でわからなくなったりして、

落ち着かない人たちで自分の環境を作っていくことになる方が私はよっぽど怖い



そういった心落ち着かない状態を過去、私も経験してます



だから陸暁ではやりたいことを貫きさせていただこうと思ってます




そんなわがままに付き合ってくれる方のこと、とことん幸せ願ってしまうのは、私にとって必然だと思う




誰だって根っこはそうだろう


湧き出てくるもの止められないよ



自分が表現する何かで、

誰かが喜んでもらえるのを間近で実感する



そういう芸術みたいな生き方は誰でもできる

そしてそれで生活がやっていけると私は信じてる




それを邪魔をするとしたら、

最大の敵は頭の中で発する自分の言葉なのかもしれない


だからこそ、どうか言葉を大切にしてほしい



        言霊 



私たちの本質は霊=エネルギー=意識 そのものなのだから



どんな良い言葉でもどんなエネルギーで発しているかが何より大事


言葉の意味以上に、

潜在的に込めたあなたが発するエネルギーがあなたになっていく



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これまでブログで綴ってきたことは、



魂は永遠



永遠を生きている



その観点からこの人生を見つめている私は飛んだ変わり者かもしれません



でもね、その見方、その角度での人生の見方を体験してしまったのなら、とことんそこを追求していこうと思うのです



どうでもいいことはバッサリと、どうでもいい、、、




いきたい先に、そばにいてくれる人を大切にし続けたいと思う


それは見方によってはすごくわがままかもしれない


それはすごく傲慢かもしれないけど




自分を大切にできなかった過去の状態は生死を彷徨うほどの大病やトラブルでした

そんな経験をしたからこそ自分を大切にしてあげたいんです、、、




だから皆さんにも自分を大切にして欲しいんです









自分を大切にしていないで、いつも自分の心を後回しにし続ける、自分の心に目をつぶるような犠牲心で人や物事と付き合うと、


結果、周りにいる人たちととすり減らしあう、

消耗し合う付き合いが始まる



それが最も避けたいことです


自分に愛や、感謝を言い聞かせることよりも



愛や感謝はそこに「至るもの」


「今の状態」を意味するもので在りたい



癒されてない時は人にとても分け与え続けられない







言霊は大切


言葉が自分を癒せているのであればいいのだが、

言い聞かせる言葉によって自分を削ってやしないか、、、




良いエネルギー状態で在ればそうだし


無理に言い聞かすよりも


良いエネルギーの人や場所、想いに触れていった方が俺はいいんだよな


自分を楽しませる方向へ


楽しいを真ん中に


それが私にとって自然体で大切なひとを大切にする距離感や自分の流儀かもしれない



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大切に思えた人を純粋な気持ちのままで大切にいたいから


私は私をすり減らさないようにできるだけ自分を大切にしてあげることに注力したい




本当の自分=真我は、人に喜んでもらいたいと願っている


人の喜びに触れたいと願っている


それが自分の喜びであることを知っている


だからこそ自分を上手にその世界へ連れていってあげなければいけないと思う





そのためには犠牲心ですり減らしながら行きたいところにたどり着けるほど私は強くない


自分をしっかり癒してあげなければいけない



愛する人たちがいる


愛する人たちにしっかり目をむけ続けれるように私は私をしっかり愛してあげたい





愛で満たされたなら


外野や、評論家の言葉に心を奪われることなく自分の声に耳を開き続けれる


エネルギーが落ち着かないと外から聞こえてくる言葉がやたらとこびりつく


満たされると本当に自分が生きたい先を見続けれるのだと感じます




犠牲心は続かない 


犠牲心が続くと愚痴が出るからね




それが続いた結果、いて欲しい人が離れていったり、現象が滞ったりする


それが十二分にもうわかったから、


自分から溢れた分だけ注いであげる


溢れた状態でいられるように自分を注いであげる





人の根本はきっと、注ぎたくてたまらないんだよ、、、






溢れた状態の時に思考は停止して、

本当尽くしたい人に尽くせるんだと、


心の弱い私はつくづくそう思うのです







人に喜んでもらえたら嬉しい、、


癒しの手を届けたい



犠牲心の手は心の原型を長くは保てない



満たされた、満ち足りた手は人と自分を癒し続けれるのだと痛感



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そう思うと、ヘレンケラーもナイチンゲールも自己犠牲の手ではなくて

満たされた、満ち足りた手で人々に触れていたのかもしれないな、、、






魂は永遠を生きる

その観点から満ち足りた手で人に関わって生きたいと願い、

この人生を思い切り楽しみたいと思います









あなたがやりたいことをわかってもらう前に、

あなたがあなたの心の状態をわかってあげてほしい






豊かさがどこにあるのかはあなただけが知っている











今あなたは何が欲しいですか?










どう在りたいですか?
















耳を澄ませてみて、、





あなたが在りたい願うあなたが必ずあり、


そこに至るために私たちは今を生きているんじゃないか



ふとそう感じるのです













 
 
 

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