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未来は横に現れる










最善を選べても人は恐れを抱くようにできている















セッション中、ある方に話していてふと、数年前の出来事を思い出しました



それは数年前、病から完治し出した時、

ある方の勧めで霊視カウンセラーの方に私のエネルギーを霊視していただく機会がありました




私は人のエネルギーをみる仕事をしながら自分のエネルギーはあまり細かくはみれません


もっと関心をもったらわかるのかもしれませんが、日比、目の前の方を視るということをしながら、自分のエネルギーの状態を整えることはしますが、いざ自分を霊視するということに集中力を向けることが滅多にありません


集中して見せていただいたとしてもそれは守護霊の方から見せていただくものが多いので私に覚悟があったり受け入れられることだけ自分のことは見せていただいてます


例えば前世や私の今世での死期など

死期については私にあの世を視続けて死の概念が備わったことや死を温かいものとして受け入れられるようになったからだと思ってます


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死というタイムリミットを感じるからこそ

大切なことはなんなのかといつも秤にかけて選べることが多くなりました



必要なことだけが守護霊さんを通してみせていただいてますが

そんなに自分の未来に関心があるわけでもなく

ただ、目の前のことを大切にしていたら行き着くところに行くのだろうと思ってます

そんなやつです



そんなわけで自分の未来にあんまり関心を持っていないのですっかり自分を霊視してくださったことを忘れてましたが




数年前、霊視カウンセラーの方からはこうおっしゃっていただきました

この方曰く、40になったばかりの私をみて、40代半ばで私と同じような仕事をしている

そして50代に入ると人の心を元気にする話を中心にしている

とてもあなたの生き方にあった生活をされてますよ

とおっしゃったのを思い出しました




その時はそんなことあるか?くらいに思ってたのですっかり忘れてましたが

今、東洋医学をとエネルギー療法を用いた霊視カウンセラーとして生活をしています



数日前に数年前そのかたがおっしゃっていたていたことを思い出し、妙に納得してます

これまでブログやセミナー、カウンセリングで私は、未来と過去はあなたの横にみえてくるといってきました


その方のその時みたものがそうだったのでしょうね



あの時霊視してた方がみてたものがなんなのか、いまはよくわかります

人は心から喜びになっているものを握った時、私はよく「気が立つ」と表現しています


エネルギーの柱としてその方にとって「相性の良い仕事として」その人の未来が横に現れます


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しかしその「気が立つ」仕事を握っていても

気持ちが疲れたり

いろんな誘いで気持ちがぐらついて手放す方もいらっしゃいます


せっかく相性がとても良くてもです



相性が良い仕事と言っても、良いことばかりではないのでしっかり自分を癒したり、自分を喜ばしてやったり、人によってはそれが贅沢をしたりすることだったり、そういったことをしてエゴを満たしてやらないとせっかく相性の良い仕事でも手放してしまいます


私も自分のエゴとの付き合い方を知るまで何度この仕事をやめようかと迷ったことか、、、




今はエゴをある程度満たしながら魂との声に折り合いをつけてこの仕事を続けられてます



横に出てくる未来、いいかえたら相性


そこには人との相性、仕事の相性、土地との相性などさまざまです

時には前世の因果など


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でも私たちは物質社会に生きてます

そうすると相性が良いと言っても最初大きな出費が重なったりして出ていくものが多いと人は迷いだします


迷うと過去を振り返って後悔したりすることもあります


選んだ道の未来がどんなに明るいとしても

気が立った相性の良い未来がみえたとしても




人は迷う生き物です




人は恐れを持って生きていく生きものだからです

恐れは生存本能を高めてくれます

未知なものに恐れるから敵から身を守ったり、危険を察知して未然に大きな事故を防ぐことができ、太古の時代を生き抜いてきたことをDNAに刻まれてます


恐れは人間の本能として備わっているものです


しかしその恐れが現代では光として見えてたものを手放したり、今でいう自己肯定感を下げることにもなり兼ないようです



私が未来をみるときは守護してくださっている方が教えてくださることがほとんどです

その方から視せられる声や動画でみせてくれるものをただただ通訳しているだけです


ただしそのかたが受け入れられる時だけのようです



守護してくださっている方々は厳しいことも愛を持って伝えてくれます

それらは特別な方が聞こえているのではなく、みんな聞こえているのです

聞こえているのに聞こえてないふりをエゴがしています


エゴの声がうるさすぎて聞こえなかったりすることが多いです


エゴは蓋をすればするほどうるさく騒ぎます

なのである程度充してあげることが大切です




私のエゴは

「人間好きだけど集団に染まりたくない」です

いい人になたい自分も知りながら

それを我慢できずにいい人もうええやんという自分を知っています

ええ人なりたいけどもうええやん、、ってポイってやっぱり何度も捨ててきたように思う


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エゴを満たしてやれたらええ人キャンペーンすぐに終了できることも知りました


私にとってエゴを満たしてやるには1人の時間がとても大切です



お酒も好きだし美味しいもの食べるのも好き、風景を眺める旅をするのも好き

今こうしている間も1人でお酒を右に置いてリクライニングに身体を傾けて綴ってます

これが私のエゴの満たし方の一つでもあります


エゴを満たしてやることは自分を助けてやることと似ていると思ってます




そうやってある程度エゴを満たしてやると、エゴの声は静かになって今度は魂の声が聞こえます



魂の声と言っても次元に違いはあるかと思いますが、

魂はきっと人が喜んでくれたら嬉しいという根源が大きく占めているんじゃないかなとつくづく思います


それは人の喜びに触れることは自分の喜びを知ることと繋がっていくから

ここらへん語ると長くなるので割愛します、、、



自分が軽くなるには「人の喜びに触れること」「人の光に触れること」

「人の光に触れて自分の光に気づけます」


魂の声は「光に照らされた自分を知りたい」という好奇心に満ちてます



自分のやりたいことに目を向けていくことによってエゴが満たされてて

雑音が消えていく


その過程で魂の声が聞こえていることに気づきだします

いえ、ずっと魂の声が聞こえてた自分に気づきだします

自分の人生に何を期待して何を超えていき、何に触れたいかがわかってきます



やらなければいけないことと、やりたいと願っていることは全く違います

ここに目を向けていかないと自分が本当にやりたいことがわからなくなってきます


それでも


それはやりたいこと? やらないといけないと思っていること?

どっちかわからなくなってしまった時



「自分がこれまでにやってきたこと」

「自分が現在持っているもの」

「いままで何度も手放して挫折してしまうこと」をよく考えてみると

人生は、一体私に何を伝えているんだろうと視点を持てます


 

自分がこれまでにやってきたこと、自分が持っているもの、挫折してきたこと、

それらを生かせる道はなんなのか、ということを考えていくと 

生まれる前に建てた人生の計画に気づけるのではと思います


辛いことは多くても、好奇心を持って楽しんで追求している時、それはきっとテーマを進めている人生の計画を進めている時だと思います




私は、、


迷いながらですが、やっぱりこの仕事好きなんだと今はいえます


エゴはいまだにこの仕事を嫌ってますが

魂の声はこの仕事に喜びを感じてるようです



疲れたときはエゴを満たしに行ってます



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来週また七日連続仕事だぁ、、、

なんでこんなんなる?
















よしよし、エゴを満たしてやろう、、、








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