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念と祈りの相違

更新日:5月25日





兵庫セミナー、山梨セミナーが終わりました

ご参加いただきました皆様、心より御礼申し上げます


私自身、今年に入り体調を崩し、3月頃に養生を余儀なくされ、4月に治療を受けだし、カウンセリングを待っていただいた方にご負担をおかけしたり、事務局や生徒さんたち、たくさんの方にサポートいただきながらセミナーは開催となりました


生かされていることをあたらめて痛感します

ブログを通して改めて御礼を申し上げます



本当にありがとうございます




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(兵庫セミナー)



7月の東京セミナーの頃には一層回復してるはずです


元気いっぱいでみなさまにお目にかかれることいを今から楽しみにしています

ご参加される皆様よろしくお願い申し上げます




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(山梨セミナー 司会 陸暁事務局 ゆいさん)


こうなって初めて、振り返ると、セミナーはどうしてもやり遂げたいという個人的な思いよりも、調和したい、集合体の一部であれたらいい、上手く言えん祈りに近かったような気がします


あと1回の東京のセミナーもたくさんの方にお申し込みくださり、ありがたいしかない、、、


感謝が自然と込み上げてきます


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(山梨セミナー コラボ講師 古代文字気功講師 五味照美さん)



想いというのは、肉体の次元、幽界の次元、霊界の下層の次元の世界、横に響く感覚


肉体や幽界や霊界の下層の次元を超えていくと、高次元、神の世界とつながり、神の御心とのつながり、いわゆるこれが祈りと私は感じてます


横の次元の響き、想いだけでは重たい業想念の中をめぐるだけで、肉体次元、幽界次元、霊界の下層次元、3界を念として彷徨い続ける


特に肉体と成仏せず幽界を彷徨う霊の世界に想いは色こく漂っています


肉体の世界(次元)で個人的な想いを通すだけなら、強い思いでやって叶うことがずいぶんあります


しかし、それはあくまで念力であり、祈りによって叶えられたものがでないかもしれません



欲しいものがあったらその欲しいものを何度も何度も想い描いて、願いが叶えられるようにと一心に思うと叶えられことがよくあります


これは願望達成の念力による想いです

私は念のエネルギーは敏感で生徒さんと瞑想するとき意図を持たないで楽にやって、瞑想が念となって迷走になってるよ、などと伝えることもあります



祈りではなく、想い=念力は業の渦の中での出来事で、祈りとは別のところだと私は感じるのです


この想念的に生きていきますと同時に幾人の人が同じものを求めた場合、どうしても念力の強弱の世界で調和から心は離れやすくなります


祈りとは愛そのものであり、神の御心思う生き方、調和そのもの



祈りを持って心を軽く、円く、やわらかくありたいですね


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(山梨セミナー サポートに来てくださった先輩霊能者 トシ先生)



そもそも魂は神様を感じたくて、成長したくてたまらないようです


いいえ、厳しいようですが、魂を成長させていないと霊界に意識が帰った時(成仏した時)に大きな反省をします



霊界には必ず誰もがいずれ帰ります


帰った時、あなたは何をし現世にいたんですかと問わたらいかがですか?


物質的価値観を貫いていきてきましたと答えるしかなかったら、、、


物質がない霊界であなたはどう思うでしょうか?


私たちは経験をしにこの世に何度も生まれては記憶を置いてきています


それは感動するためです


現世の人間はできるだけだ辛い思いをしたくない 

 

そう思うかもしれませんが、そのそもそもこの世に生まれてくるとき、自分が楽をしようと思ってきていません


そもそも霊界の方が圧倒的に楽なのに目的を持って、不自由この世界へ経験しようと思って来てます


生まれる前のことも覚えていると感動できないので、決意も忘れてしまうわけです


しかし魂の奥底では生まれてきた意味をちゃんとわかっています

病もトラブルも経験しに来ています


できるだけ失敗のないように、

トラブルがないように、

できるだけ辛い思いは無いようにと、あそこは行かないほうがいいなどのアドバイスがお守りがわりになるなら、方位や自分の字画、名前を気にかけてするのもいいと思います


ただこれだけは言えます


どんなにつつがない人生を望んでもあなたに必要な学びならば、あなたに不都合と感じることも起きます


逆を言えば自分にとって必要なことしか人生は起きないのです


ですから余計な心配をすることよりどんと構えて生き抜けばいいと私は思います






精一杯生きれたらそれだけでいい


後悔ある人もいるかもしれないけれど、それは生きてる時の意識


生きてる時に気づけてない意識がなくなって初めて蘇る意識がある


やりたいことをやればいい


私がやりたかったらやってもいいんだよとカウンセリングでいつもいうのはそれです


やりたいことをやったことが精一杯生きた証としてデータに刻まれる






心は壊れやすいけど魂の次元で実は壊れないんだよ


そのような状態に

誰も自分の心に入らせないほどの状態に

大事な経験がある


悩み苦しむのはあなたが愛を知っているから


色濃く続く時間は間も無く終わる



どんな状態でも安らぎ安心に必ず辿りつく


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そして安らぎ安心できた後、私たちは自らまた経験を求め出す



私たちはさまざまな経験を通してもっと愛を学びたいと



 
 
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