心はあなたしか守れない
- akihiro yoshida

- 2024年10月5日
- 読了時間: 8分
更新日:2024年10月6日
夏日がゆっくりと過ぎ去っている、、、
夏がほんのり苦手な私にとって過ごしやすい日が近づいているこの頃、なんだか嬉しくなります
今、いろんなところを旅していこうとしてます
その中で先日、京都ではとても有名で観光地ともなっているお寺、三十三間堂に行ってきました
京都に住みながら初めて行った場所

なんで今まで行ってなかったの?って言われる人もいますが、いきたいと思うところを優先していると今になりました
縁が薄かったのかも知れませんね
縁とは、意図せずとも吸い込まれるように、引き合うものだとも感じてます
そして今回も本当、勉強になりました
しかし結論から言って、三十三間堂は当面行けないなぁ、、、というのが本音です
参拝料を払い、入口から敷地に入ると仏さまと道が通ってる、仏の気を確かに感じます
初めて行った場所で感じるこの初感を私はとても大切にしています
「あぁ、、ここにはきちんと仏さんと繋がった仏像があるんだなぁ、、」っと入り口に入って実感しつつもなんか引っかかる、、、「うん??!」という言葉にならない感じもします
なんだろう、、仏さまの気を感じながら何か、、、
まぁ、行ってみよう、とお堂の中に入っていきました
すると、、
いつもなら仏像の前で仏様を呼ぶご真言を唱えるのにお堂に入ってから意図せず般若心境を唱えている自分に少し驚きます、、
「こんなん初めてだなぁ、、」と前に進んでいくと
千手観音様の仏像がたくさんたくさん並んで鎮座しています
霊視をすると全部で一つの道となってるような感覚で部屋全体を包むように千手観音様が出てきてくださりました

(写真は撮ってはいけないため画像は資料より抜粋してます)
こんな千手観音様を間近に霊視でお姿を視せていただけたのは初めてで感動しました
そして私自身が視えて聞いてきたありのままに目に見えない世界をお伝えしていける手を貸してくださいとお願い事をしました
それにしても、、、
最初から感じてた違和感の存在が確かなものになってきた
胸がとても苦しくなり、足が重くなる、、
自分のオーラをみてみると足と胸が黒い煙に覆われ始めています

なぜ、、、不成仏霊は視えないのになぜ微かに魔の気が漂ってるんだろう、、、
この日、修学旅行生達がたくさんきてましたが学生さん達を霊視をするとやはり足元がうっすら暗くなっているのが視えます
体がだんだん重くなってきて、、なぜこんなに温かい千手観音さんがいらっしゃるのにこのお堂内で魔の気が立ち込めているのだろう、、
リーディングで千手観音様にお話ししてみると答えてくださりました
仏像に話しかけているのではありません、道が繋がっている仏像を通してあの世の世界の住人よりもさらに高い次元にアクセスしていきます
ここはまだまだ私もお勉強中の過程ですが、強いエネルギーを放ってくださる仏様は声やお姿をエネルギーを通してみせてくださいさいます
(余談ですが、お寺はこういったリーディングを通して見聞きしていきますが、神社の場合は気の当てどころというか、霊視する向け方がまた変わってきます)
千手観音さんはおっしゃってくださりました
「魔と戦う仏が日々呼ばれては魔を祓いにいっている
参拝者の魔も降り祓うことをしている
それが瘴気(しょうき)となりこの堂内で拭いきれぬものとなっている」
とおっしゃってました

(写真は撮ってはいけないため画像は資料より抜粋してます)
瘴気かぁ、、
わずかな瘴気がお堂の中に漂っているのを感じます
三十三間堂は強い魔と戦う仏が一緒に祀られ
瘴気も一緒に漂っているため、感じやすい方にとっては胸や足が重たいと感じられたり、頭痛をする方もいらっしゃると思います
とても壮観な千手観音像が見られる場所ではありますが、今は少しこの瘴気が落ち着くまでに時間がかかるかもしれません
魔とは、、
人の念や、目に見えない世界の鬼や土地に住む怨霊、
不成仏霊、それが重たい執着により離れられない者を地縛霊といったりもします
そのほかにも霊が通り道になっている霊道も重たいエネルギーとなりそこの住む方の心身を蝕んだりします
そのような状態になると、塩やお酒ははっきりいって気休めにしかなりません
お札も心もとないです
こういった時はしっかりと祓いや浄霊が必要になります
その時に助けてくださるのがこの魔と戦う神仏です
それをご真言や祈りで呼んで助けてもらったりするのです
それが難しい場合は放っておいて自然と状況が好転することが難しいためその場を離れてほしいことも伝えてます
しかし周りの理解や、経済的なことなどが壁となった場合、目に見えないお話は軽視されがちなことが霊視カウンセラーとしては歯痒く思う日々です
私は好きな場所、とてもエネルギーが良いと感じれた場所には大切な人たちを招きたいと心から常々思ってます
しかし
神社仏閣が全て良い場所とは言い難いのは私の中の真実です
そういった意味ではお連れできる場所、お連れできない場所というのは神社仏閣やパワースポットでもたくさんあるのが現実です
そして、周りの言葉や情報に惑わされずしっかり自分でエネルギーを見て、時にはそこに漂う気からなぜこのようになっているのか、調べる下見ってほんま大切!!って痛感しました
また、神社仏閣巡りが好きなはずなのに、カウンセリングで霊視するとなぜこの人には不成仏霊がついていたり重たいエネルギーが拭えずにいるのだろうか、ということに納得がいくこの頃です
陸暁は目に見えないエネルギーやご神仏、守護霊、あの世とこの世の関わりを中心に発信しています
そもそもそういうことを発信しようと決めて陸暁と名付けてます
陸暁の名前の由来は「循環」です
暁は日の出、日がのぼりまた陸へ沈む
人は生まれ、そして死に、また生まれ、、、
あの世とこの世の循環を表して名前をつけてます

こんな形ないものや目に見えないことを発信する陸暁に寄り添ってくださる方が愛おしく思えるときがあります
特にカウンセリングでエネルギーを見つめていくと、
辛い状況でも光を放っている方
きつい言葉を放ってても温かい方
どうしようもなく心が暗くなってても愛を降り注ぐように縁をつけようとしたり、心に明かりを灯そうと愛の言葉を投げかけ続ける守護霊さんがいらっしゃる
このようなエネルギーを日々接していると綺麗事に思えるかもしれませんが、心から、その方が満ち足りた人生になってほしいなと思えます
私1人が目の前のかた、そしてその方の家族、大切にしたい友人をサポートはしきれないことは当たり前のことではありますが、感じるがゆえの歯痒さがここにもあります
だとしたら、その方が安らかになれる場所を一緒に見つけて喜んで案内したいなともおもうようになりました
そんな場所を探しにいま旅をしてます

でもそれは観光地であったり、名の知れた場所とは違う場合が多いことを実感してます
どれだけ有名な場所とか、歴史ある場所、参拝者が多い場所=良い場所とは限らないことを痛感する日々です
だったら、先々はガイドとして陸暁が縁ある方達をお連れできる形を作っていこうと思い、ただいま準備してますので少しお待ちくださいね

残りの人生はあとどれだけあるのでしょう

この仕事をしながら、あの世の方達とのやり取りをする中で、次第に死が私の中で安らぎで明るいものとして認識できるようになり、死の概念が大きく変わっていきました
その過程で数年前、自分の余命を守護霊さんから教えていただけました
それは私自身が死を前向きに捉えているからだそうです
精一杯生きていこうと思います
死は魂の出産です
新たなる始まりです
この世は人と比べるが故の失敗と成功があり、
人と比べるが故の喜びと苦しみに目がゆきますが、
どんな状況であれ、命を絶たずに精一杯生きたか、それだけでいいと思うようになりました
後悔ある人もいるかもしれないけれど、それは生きてる時の意識であり
生きてる時に気づけてない意識が死後になって初めて蘇る意識があります
その上で伝えていることは、やりたいことをやればいい、、です
やりたいことをやったことが精一杯生きた証としてデータに刻まれます
でも時に、心は壊れやすいし傷つきやすいし弱いものですから
自分1人だけでは目の前の問題と向き合えない時もあります
神経がいっぱいに張り詰めて消耗して、どうしたらわからなくなったらその場から逃げることも大事
その時は思い切ってこだわりを捨てていてほしい、、、
あなたの心を守れるのはあなただけ
あなたが好きなもの、好きな人、好きな場所に帰ってきてください
そしてどうかあなたの愛情の袋をいっぱいにしてあげてください
あなたの心を守れるのはあなただけ
もしも、読んでくださってる方の中で
精一杯生きたけどもう辛くなった、、、としたら
どうか会いにきてください
あなたを輝かせるもの
あなたを癒せる縁は必ずあると信じてます
それを一緒に見つめられたらと思います




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