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厄災と魔と参拝ついて








本日のブログでは10月に行う陸暁で行う勢神宮参拝イベントの日まで

一ヶ月を切りましたので、参拝の意図について綴りたいと思います


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なぜ参拝、厄祓い、ご祈祷にいくのか、、



参拝にいく主な意図は、厄を祓い、魔を祓い、本来の自分自身の体験すべき人生のプログラムを謳歌するためと私は捉えています


この厄と魔について説明するため、一つづつ順を追って綴りたいと思います


この認識はあくまで私の主観です


この主観は自分自身のこれまでの人生と、カウンセリングを通して目の前の方を守護される方々から教えていただいたことや、神社仏閣を巡りながら感じてきた主観です


よって宗教に携わられる方や、神主さんやお坊さんの見解と違う場合があり、私なりの見解となりますことをご容赦ください



厄とはなんなのか


厄とは日本、この世界に悪意も因果もなく存在しているもの


辞典では

人間の生命や生活の健全と安定をそこなう要因になると考えられている災難・障害に関する心意現象をいう。時間の次元では厄日,厄月,厄年があり,空間的には厄の生ずるという場所がある  と記されてます



私的には厄とは世界中に意図もせず存在して、触れたらまとい、それらを解消するときに幸運とは真逆の作用を生じて解消されるもの


まるで不運とも呼べる眼に見えない次元の埃のようなもののように捉えてます



つまずいたり、ケガをするとその厄が少し落ちます


大きなトラブルに見舞われると、ごっそり厄が落ちます


つまり、私にとって自分と、大切な人にとってできればいらないもの


それも学びなんじゃ無いですか?って聞こえそうですが、

この厄災や魔が影響するものは本来、人生で体験すべき計画していたものとはまた別のものと私は思ってます


生まれる前に決めた、超えたいと願う課題、解消したいと願うカルマや、あの世で成仏したけどなんか引っかかる後味のようなもの


その因果、テーマと向き合っていらっしゃると守護霊さんがみようとせずともたまにオーラから前世をみせてくれる時があります


(守護霊さんが魂の学びのために強く見せないようにされることもよくあります)


前世がみえた時、人生で体験すべきこや、今関わってる人との縁を設定して私たちは生まれてきたことが納得できてしまいます


その設定と関係なく存在しているものが厄や魔です


では、魔とはなんなのか


不成仏霊や悪意を持った眼に見えない存在です

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妖怪や鬼と言ったら変なふうに思われるかもしれませんが、妖怪や鬼、精霊も私たちと同じように違う次元でしっかり存在しています


目に見えない存在は訓練していけば視えるようになっていきます


もちろん重たい存在は視える必要なんて無いんです


しかしその重たい、怖い存在は憑かれると心身に影響をきたすような存在も確かにいます


それを私は魔と呼んでます


魔が人に憑くと心身はとても正常ではいられません


程度にもよりますが、あまりにも怖い、強い魔に憑かれると、まるで自分が神様になったように断言口調になったり、人を強く憎んだり、時には強い念で自分や他人の心身に悪影響を及ぼしたりすることもあります


私はそのかたが背負ってしまった心身の重たいエネルギーを黒い煙として実際にカウンセリングで視てます


時にそこに潜むのが魔であった場合は実際姿として視えることもあります



肉体から出ているこの黒い煙は重いエネルギーです


この黒い煙を長く纏い続けると、細胞を傷つけていくことが長く霊視をする過程の中でわかってきました


黒い煙がオーラからなくなれば必ずと言っていいほど心身が軽くなります



この黒い煙は下へ降ります

足に溜まりやすいんです


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目に見えないことの相談で来られる方が多い私のサロンには、足を引きずってこられる方が多いです


そういった場合、この重たい黒い煙が必ずといっていいほど足から出てます


その煙が取れたときには足が思うように動いたり、頭や背中の背後に黒い煙があるときは心身の異常をきたしている事がほとんどです


あまりにも強く濃い黒い煙の時には内臓にダメージがすでにきていることもしばしばあります


カウンセリングや施術でこの黒いけむりが薄くなったり、消えていった時には1人で喜びを噛み締めてます


しかし人によってはこの黒いエネルギーを自分から離さない方もいらっしゃいます


それはどんな方か、、

強い憎しみ、深い悲しみ、強い欲望、強い怒りの時、この黒い煙の虜にいつの間にか自分がなってしまってる時がそれです


こうなった状態の時に厄や魔が存在する次元、存在する空気、存在する磁場が居心地良さそうな空間に感じてしまいます


重たい場所を居心地良く感じてしまってるから磁場がよく無いその場所を他人が離そうとしても強く拒んだりもされます


そうやってたくさんの厄や魔に誘われるように人生が辛い状況に転がっていったという何人かの方と出会いました


こういう方に出会うと私自身、何にもでき無いことを痛感し、少なからず無力感に陥ります


黒いけむりが消えてほしい、、、


消えたら、

心が喜ぶ人生が再び始まるんじゃないか、

本当に望む人生を迎えれるんじゃないか、

最愛の方に出会えるんじゃないか、

魂を磨き合う方との関係に気づけるんじゃないか、、、



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黒い煙が薄くなって行かれる方を前にワクワクし、その姿を重ねてしまいます



この黒い煙に重たいエネルギーに潜むのが厄や魔です


私も人の重たいエネルギーを受けたり、不成仏の声を聞いたりエネルギーに触れたり憑かれても黒い煙が出てます


私の場合、背負いすぎると守護霊さんが病やトラブルを起こして強制ストップかけてくれます


もう少し優しく気づかせてほしいのが本音ですが、、私の強情な部分は優しく諭されても気づけないんでしょうね、、



人はそれぞれ課題や命題を持って生まれてきてます



それに向き合ってる時、世間一般の幸運の人生とは見えない時かもしれません


しかし魂は課題や命題に向き合うことに一生懸命です


だからこそ厄や魔の重いエネルギーに心が削られないようにいてほしいです


ご縁していただいた方が本来のエネルギーを発揮して命題に向き合えるために、厄や魔を落とすという効力が御祈祷にはあります


それは開運とはまた次元の違うお話に思うかもしれないけれど、


この厄や魔を祓うことの意味は、


「あなたに必要なことがきちんと起こるようになること」


その一言に尽きます



それは事故のようでも、大切な気づきを得るためであったり


重たい病気のようでも、自分と今世に一緒に生まれてきた大切な魂たちと愛を学ぶ機会であったり


大きな仕事を任されてるかたにとって、たくさんの方とのカルマを見つめる機会であったり


魂の経験として必要なことが起こるようにすること、その願いと祓いが今回陸暁で行く、伊勢神宮参拝です




開運を辞典で調べると、

運が開けること。幸運に向かうこと など記されてます



私的には、「魂の経験として必要なことが起こること」


それが開運なのではないかと密かに思ってます


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陸暁で行く、10月20日に行う伊勢神宮 特別参拝とご祈祷を一緒に受けにいきませんか?


受付締め切りまで一月を切りましたのでご案内も兼ねて本日綴らせていただきました


陸暁の伊勢神宮参拝イベントにつきましてはこちらからご覧ください

下記ページからお申し込み完了をもって受付完了とさせていただいてます




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皆様にとって、必要なことが必要なタイミングで起こりますように✨





 
 
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