この縁には意味があるというけれど
- akihiro yoshida

- 2024年7月11日
- 読了時間: 6分
長い出口の見えないトンネルも
縁の意味が理解できた時に別次元の世界へ
ご縁という言葉が昔は、、、

10代、20代、30代、霊媒体質の私にとって今起こっていることをご縁という言葉で片付けられない重い日々が長くありました
振り返れば私は小学生の時から霊媒体質だったんだなと、今になってわかることが多々あります
小学生の時は足が痛くてよく泣いていました
病院に行っても原因がわからず成長痛で片付けられてました
育てのおばあちゃんは痛がる私にサロンシップやタイガーバーム(知ってる人いる?)をふんだんに塗ってくれるのですが、全く効果なく日々痛がってました(苦笑)
夜寝る前に足が痛くて泣いていた日、痛みが落ち着いた時に自分の右足から真っ黒い煙が立ち上がっていたのを思い出します
今思えば霊体に受けていた重たいエネルギーが黒い煙の正体でした
そんないろいろなエネルギーの影響を体で受けていたのを大人になってから知りました
20代に入ってからお亡くなりになった方が不用意に意識下に飛び込んでくるようになり、その存在が自分のエネルギーフィールドに入った時に強いだるさや痛み、吐き気、眠気を自覚するようになり、次第にそれが霊障とよばれるものだということを知っていきました
人と肌を重ねれば強烈に後から倦怠感がきたり、眠れない日々、
人との距離感がとても敏感になっていた時期
嫌いな人からは逃げればいい
あるいは突っ張って跳ね除ければいい
しかし困ったことにこの霊障だけは跳ね除け方が全く皆無のまま幼い時から20代30代と時がすぎていきました

まるで呪いのように感じるこの日々が疎ましく、自分の手で命を絶つことで終わらせたいと何度も思いました
自分の人生に起こっていることを重ね合わせていくうちに
「今起こっている縁には必ず意味がある」という言葉が頭をよぎり、その言葉を強烈に嫌悪していきましたが
それでも逃場のない、どうしようもない状況まで追い込まれて行った時、今まで嫌っていた言葉、「今起こっておることにはきっと意味がある」や「縁」という嫌悪していた言葉に希望を見ようとしていました
どうしようもない状況に追い込まれて行った時、嫌いな言葉をいつしか味方にしていたように思います
今では霊障もご縁と思っています
霊媒体質な方は意識のアンテナが身体全体を覆うように拡散していて、人の念も不成仏霊も何でもかんでもその中に取り込んでしまい街を歩いたり、密室や大勢の関わり合いだけで体調を壊してしましがちです
普通に生きていくのがとても困難になってしまう方もいらっしゃいます
どうか希望を持って安心してほしいです
そういった霊媒体質の方は意識のアンテナをお腹に納めるトレーニングが必要ですが
これはトレーニングでしっかりと改善できることが私自身のこれまでと、出会ってきた方との関わり合いの中でわかってきました
この霊媒体質のアンテナを広げたままヒーリングやカウンセリングを行っていくと、不必要なエネルギーを感じすぎて肉体に支障をきたし続けることに限界がやってきます
そのため広がったアンテナを丹田に納めるという意識のトレーニングが必要です
その反復で必ずエネルギーのダメージを軽減できたり、それが必要な時に必要な対象にだけ意識のアンテナを届けるということができるようになってきました
その延長線上が今の私の仕事に繋がっているようにも思います
今まだまだ旅の途中で少しだけ自分なりにわかってきたことがあります
オーラや霊、霊界は正直なところです
意識の世界ですから、一切のごまかしがありません
目に見えない存在として現れる両親や最愛の方達は、相談者の近くにあらわれ、その時の登場の時の様子でいろいろなことがわかります
うなだれて出てくる人、亡くなったばかりでこれからの不安にかられて出てくる人、話好きな人、愉快な人、霊性が高い人、気が強い人、言葉遣いが荒々しい人、話すことが苦手そう人、
おとなしい人、優しい人、謝りながら出てくる人、そっぽ向いたようによそを向いて出てくる仲が悪い人達など、登場してきた瞬間から、いろいろなことがわかります
呼ばずとも現れている方の特徴として大きく分けると
再会を喜び、相談者達を愛していることを伝えたい方、いつも見守っている方、独りではないということを伝えたい方、相談者の気持ちや考えに気づいていて、苦しみや悲しみに同情しているということを伝えたい方、相談者の過去の出来事を懐かしがる方
苦しみは長く続かないというようなことを含む励ましの言葉を伝えたい方
滅多にはありませんが、アドバイスや未来の予知と過去世に関する情報を伝えようとされる方
カウンセリングの目的は、相談者を励ましてテーマを超えていくサポートであり脅かして萎縮させることでは決してありません
ある頃、霊の方やある次元の方々に教えていただいたことがあります
それは、人はいろいろな条件を持って生まれてきますが、それは、その方がその人の魂の修行に適しているら自分でそう選んで降りてきているということ
その条件が、苦しみや困難と思えたり、または呪いと思っている相談者もいますが、多くの場合は亡くなる過程や直後で強く心で思った心の叫びが今世で心の癖になってたりします
心の癖、それがカルマです
カルマとは重く苦しい嫌なものではなくて、前世で培った強く叫んだ心残りや心の反応、つまり心の癖のことと私は解釈しています
それが前世、強く心で叫んだ時、今世への呼水としてカルマと向き合いたいと環境を設定していることがあります
この環境に対してただただ向き合って行ければ良いのですが、迷った時、人はその意味や因縁を知りたくもなります
しかし、私は今は思うのです
不用意に前世や守護霊はどんな方かを知る必要もないと
このことについては以下のブログに触れてます
記憶を消さなければいけない理由がある
⇩
縁には必ず意味があります
それが強く心が引っ張られる人や出来事ほど強い因縁があったりします

その縁を神社で縁切りすることに私は少し違和感があります
強い因縁ほど強い縁であり、その設定は厳しいながらも、選択して生まれてきていることが多くあるからです
エネルギーの強い神様は縁を切ることもできるそうですが、意味あって出会っている縁を切っても、やはりそれは問題の先送りのような気がして、縁切り神社へ行ったとの相談を聞いても少し違和感があるのを否めない私がいます
自分を振り返っても、相談者と向き合ってもつくづく過去嫌っていた言葉を今では肯定しています
「今起こっておる縁には必ず意味がある」

先日、陸暁の生徒さんたちと講座のワークと称して熊野へ旅してきました🌟

(日本一大きい鳥居)熊野本宮大社 旧社寺 大斎原 大鳥居
10月は伊勢神宮に皆さんと行けたらとお声がけさせていただきます
ぜひ一緒に行けたら嬉しいです^^

私にとって
とてもとてもありがたい時間でした✨
ありがとうございます^^



